━【フィリップ・グラス完全版】



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♪音を喜ぶ耳と音楽の構造を知的に楽しむ耳を...♪ミニマル・ミュージック、21世紀の音楽の夢   四人のミニマリスト その2!フィリップ・グラス続編.....♪
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<ラヴィ・シャンカール/ Ravi Shankar>

-東洋と西洋の偉大なる音楽的な出会い。-

ラヴィ・シャンカールとフィリップ・グラス。
かたやインド音楽を代表するシタール奏者/作曲家、かたやスティーヴ・ライヒやテリー・ライリーなどとともにポスト・ミニマル・ミュージックを代表する作曲家。



<フィリップ・グラス Philip Glass>

1月11日の日記
『映像と音楽の黙示録「KOYAANISQATSI (コヤニスカッツィ)」』
の続編となりますので、合わせてご覧ください。




「美女と野獣*シネオペラ」フィリップ・グラス・アンサンブル



<ジャン・コクトー/Jean Cocteau 1889-1963>

コクトーの映画『オルフェ』『美女と野獣』『恐るべき子供たち』をベースにしながら、グラスは舞台作品“コクトー3部作”を発表している。



「ザ・フォトグラファー」

フィリップ・グラスは15歳でシカゴ大学に飛び級入学し数学と哲学を専攻するほどの天才少年。17歳の時にはパリに短期間語学留学をし、ジャン・コクトーの演劇・映画に触れたことから、劇音楽に興味を覚えるようになったという。
1960年、ジュリアード音楽院に入学。1964年にはフルブライト奨学金を得て、再びパリに留学。ゴダールやトリュフォーらヌーヴェルヴァーグの映画体験が後年の映画音楽作曲に大きな影響を与えることとなった。



高名なナディア・ブーランジェ女史(当時すでに79歳)に3年間師事。この頃までに書きためた90曲近い現代音楽作品は、無味乾燥でアカデミックな戦後のアメリカ音楽の特徴である音列主義スタイルであるとして、現在全て破棄されている。
この留学期間中にグラスはあるヒッピー的東洋への憧れを謳歌した映画の制作に携わり西欧近代音楽とはまったく異なったシステムの音楽と出会うことになる。



グラスいわく
「アレン・ギンズバーグやピーター・オーロフスキー、ウィリアム・バロウズといったニューヨークの文学アンダーグラウンドから来た連中を巻き込んだ初期のサイケディリック・ファンタジー」だったというコンラッド・ブルックスの『チャパカ/CHAPPAQUA』という映画のサウンド・トラック製作に参加することになり、この仕事を通してシタール奏者ラヴィ・シャンカールを知ることとなる。シャンカールのスコアをいったん西洋式記譜に起こし直す仕事であった。(当初この映画の音楽を担当していたのはフリー・ジャズの旗手オーネット・コールマンだったが、出来上がった音楽があまりにも過激だったために、彼の「チャパクア組曲」は幻のサントラとして発売されることになった。)

・・・まさに、フィリップ・グラスとインド音楽との幸運なる出会いであった。



「シタール奏者:ラヴィ・シャンカール/ Ravi Shankar」
熱狂的な即興演奏と深い精神性で、ジャズやロックにも影響を与える インドのシタール奏者、ラビ・シャンカールは、シタールと打楽器・タブラのスリリングなかけあいによる即興演奏で人気を得ました。インド国営放送の音楽ディレクターも務め、映画音楽作曲などインド古典音楽の枠にとらわれない活動も展開。1952年にはインドを訪れた名バイオリニストのメニューインと親交を結び、64年にはジャズ・サックス奏者のコルトレーンにインド哲学を教えるなど、世界の一流アーティストの間で知られる存在になりました。 ラビ・シャンカールの名前がロック・ファンの間にも浸透したのは、66年のビートルズのジョージ・ハリスンとの出会いがきっかけです。67年のモンタレーや、69年のウッドストックといったロック・フェスティバルにも出演。71年にはジョージに呼びかけてバングラデシュ難民救済コンサートを実現したり、と精神的にも指導的立場を演じました。

インドでは言うまでもなく西洋音楽にインド~東洋の古典音楽を結びつけた最も偉大なる音楽家として君臨している。Norah Jonesは実娘。



インドの伝統的な音楽は、西欧音楽より遥かに古い歴史を持っています。基本的に和声という概念は無いようで、音階が重要になります。それらの音階は朝に演奏するための音階、昼に演奏するもの、夜に・・・というように時間によって決められており、楽曲はその音階の音のみで構成されて西欧音楽のように転調とか他の音階に途中から変わることはありません。



インドの伝統音楽との出会いは、グラスのキャリアのターニング・ポイントになった。グラスは現在でも、シャンカールと彼のグループのタブラ奏者アラ・ラーカが、彼の創作に根本的な影響を及ぼしていると語っている。シャンカールは、インド音楽に関心を持ったグラスをこのように回想する。 「彼(グラス)に出会った瞬間に、彼がとても興味を持っていることがわかった。彼は、ラーガとターラ(インド音楽で打楽器が受け持つ強弱のリズム型、拍子)について私に質問をはじめ、すべてのスコアを書いていった。一週間、とにかくたくさんの質問をしてきた。彼が本当に興味を持っているのがよくわかったので、短い間だったが彼に教えられることはみんな話した」。
グラスが魅了されたのは、シタールの神秘的な響きではなく、インド音楽の複雑な構造、特に北インドの音楽の反復されるリズム・パターンだった。そのパターンが、グラスにとって未知の時間の流れを作り上げていた。起承転結ともいうべきドラマティックな構造を持つ典型的な西洋音楽とは違って、インド音楽は、表面的に発展し、 どこかに進んでいくというようなことがなく、同じエネルギーのレベルをずっと維持しつづけるのだ。

  

インド音楽に触発されたグラスは、それから66年にインドに行って、先述のタブラ奏者アラ・ラーカについてインド音楽のリズムを学び、また、モロッコやアフリカなどにも赴き、非西欧諸国の音楽を研究する。そして、1967年にニューヨークに戻ってきたとき、彼の頭のなかにはミニマリズムの構想がしっかりと固まっていた。

(「パッセージズ」ライナーノーツ~より)



サミュエル・ベケット(Becket, Samuel不条理演劇の巨匠。
グラスのもう一つの大きな出会いとして、舞台との接触があげられる。64年、パリでサミュエル・ベケットの『芝居』が上演される。



サミュエル・ベケット『芝居』

ここでグラスは最初の妻となるジョアンヌ・アカライティスと出会う。以後、この劇団「マブー・マインズ」の非公式な座付き作曲家として舞台の為の音楽を書き続けることになる。ベケットの舞台に影響されたグラスは『伴侶』(元は小説。「想像力は死んだ、想像せよ」の一節で有名)などのベケットの舞台作品にも音楽をつけた。



以降、実験演劇界の巨人ロバート・ウィルソンとの作品、《浜辺のアインシュタイン》('76)は世界的な評価を獲得し、オペラの芸術形態の既成概念を変革させました。このグラスのミニマリスムがフィットしたオペラについてグラスは「意味」がひとつに集約されない作品、つまり、シェークスピアでは同じ芝居を何度観ても感情の山場が同じだが、ベケットの「喜劇」を観ると、毎回違っている。



「啓示の鍵は劇に没頭するかどうかでなく、離れることだ。現代劇はこうした感情分離を必要とする。」



オペラ「浜辺のアインシュタイン/Einstein on the beach」(1976)
ロバート・ウィルソンとのこの仕事以後、グラスはパフォーマンス・アートとの関わりが一層深くなってゆく。それらの多くが興行的に成功しているため、「もっとも成功したミニマリスト」などと言われることもあります。



ーグラスは自分にとってミニマリスムは1974年に終わったのだと語っている。
ミニマルが実験音楽として純粋にミニマルだった時期は意外に短く、ポスト・ミニマルの作曲家たちによって、さらなるグローバル化が進められ、プログレッシヴ・ロックや映画やドラマのBGMなど広範囲に渡っています。一部のマニアのための存在から脱することができないシェーンベルク以来の無調音楽に対し、ミニマルは、その耳心地のよい和声や、わかりやすい主旨などから、多くのファンを獲得いた音楽ですね。



CD「Mishima: A Life In Four Chapters (1985 Film) /Philip Glass」オリジナル・サウンドトラック
ミニマル・ミュージックの代表的作曲家として人気を確立し、映画音楽にも積極的に関わっているフィリップ・グラスの傑作。



ポール・シュレイダー監督作品/Paul Schrader's films
DVD「Mishima: A Life in Four Chapters(1985)」

三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決を図った運命の日の行動を追いながら、「金閣寺」、「鏡子の家」、「奔馬」の三つの小説を織り込み、さらにそれらの小説とオーバーラップさせながら三島自身の人生を描く手法で、三島由紀夫の世界を独自の視点で映像化している。幼年期から自決までの細かいエピソードについては、記録に残された三島自身の言葉や行動以外は一切使わず、事実に忠実に客観的に描かれ、映画全般を通底する文学的なトーンを醸し出すことに成功している。またハリウッド映画で描かれるヘンな日本人像とは違い日本人の目から観ても全く違和感がない日本人像で描かれている。緒形 拳は、ボディビルで鍛えた三島を演ずるために、撮影前に9cmも胸囲を増やし、腹筋が別れて見えるほど体型を変えたというから、ロバート・デ・ニーロも顔負け。85年のカンヌ映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞。この作品は三島夫人や中曽根元首相など、各方面からの圧力があって完成から20年近く経った今なお日本では公開されていない。

製作総指揮/フランシス・コッポラ、ジョージ・ルーカス
監督・脚本/ポール・シュレイダー
音楽/フィリップ・グラス、クロノスカルテット
プロダクションデザイナー/石岡瑛子
出演/緒形拳、 坂東八十助、沢田研二、佐藤浩市、萬田久子、烏丸せつ子、大谷直子、加藤治子、永島敏行、三上博史、他



現代音楽ファン垂涎の奇跡的映像!ピーター・グリーナウェイ監督
『4 American Composers』
フィリップ・グラス、ジョン・ケージ、ロバート・アシュリー、メレディス・モンク。
このピーター・グリーナウェイ監督の傑作ドキュメンタリー『4 American Composers: Philip Glass』でグラスは<浜辺のアインシュタイン>から抜粋した<Train/Spaceship>をPhilip Glass Ensembleと伴に演奏しております。現代音楽ファン垂涎のこのシーンをぜひともご覧いただきたいです。他にピーター・グリーナウェイ監督とは、グラスの委嘱により短編『The Man in the Bath』でコラボしています。
「コックと泥棒、その妻と愛人」、「ZOO」、「数に溺れて」、「プロスペローの本」など一種難解さを持ちながら特異な画像を作ってきたピーター・グリーナウェイが、「英国式庭園殺人事件」監督後の1983年にテレビ局“チャンネル4”のためにシリーズとして作った4人の現代の作曲家(パフォーマー)を取り上げた作品。画面の構成から、エピソードのカット、数字やアルファベットの使用法など、映画でみせた斬新な手法を用いて現代音楽家の芸術に迫る異色の映像ドキュメント。
<第1面:ジョン・ケージJohn Cage>
ケージ生誕70周年を記念して催された「ミュージック・サーカス」(40年の創作をチャンス・オペレーションで時には同時に、時には順次演奏)の模様を中心にケージのインタヴュー、言葉の並列などで構成。
<第2面:ロバート・アシュリーRobert Ashley>
語り(言語)にこだわり続け、マルチなメディアにも注目して製作された「Perfect Lives」(ヴィデオのためのオペラ)を中心に収録。
<第3面:フィリップ・グラスPhilip Glass>
ミニマルの作曲家として有名なグラス率いる「フィリップ・グラス・アンサンブル」のコンサートの演奏(タイミングを取る生き詰まるような合奏!)を中心に、合間にインタビューをはさみながら収録。(「浜辺のアインシュタイン」からのコンサート・ヴァージョン“Train/Spaceship”も聞かれます)
<第4面:メレディス・モンクMaredith Monk>
既成のジャンルを超えたパフォーマンス・アーティスト(ダンサー、振り付け、歌手、俳優、映画監督、作曲家)でもあるモンクの、古代儀式を思わせる「ドルメン・ミュージック」の演奏の模様や、最初の映像作品「16ミリのイヤリング」から始まって他の様々な映像作品、練習、他の演奏の模様など、独特の発声でテーマ性を廃して音節を追求することで音楽の在り方を問うてきた姿が浮き彫りに。
(解説:大森さわこ、柿沼敏江、藤枝守)


ekato


~百聞は一見に如かず~
「生きるために、各瞬間が発生し、その瞬間がいつも変化している。するべき最上のことは、耳をただちに開け、思考が音を何か論理的だったり、抽象的、象徴的な何ものかに変えてしまう前に、すぐに聴くことである。」
                            ー ジョン・ケージ



マイ・オークションをごらんください


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映像と音楽の黙示録「KOYAANISQATSI (コヤニスカッツィ)」
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「KOYAANISQATSI (コヤニスカッツィ)1982」

監督: ゴッドフリー・レジオ
製作: ゴッドフリー・レジオ/フランシス・コッポラ
脚本: ロン・フリック/ゴッドフリー・レジオ/マイケル・ホーニッグ/アルトン・ウォルポール
撮影: ロン・フリック
編集: ロン・フリック/アルトン・ウォルポール
音楽: フィリップ・グラス/マイケル・ホーニッグ



冒頭、スクリーンに浮かび上がるホピ族による人型紋様の壁画が映しだされる。バスの男声で「コヤニスカッツィー・・・・コヤニスカッツィー・・・」とパイプオルガンの荘厳な音楽が始まる。画面は自然の中からやがて時間の流れがそうであるように都会や人間社会の映像へと移っていく。核実験場を覆うキノコ雲、雄大なモニュメントバレーの空撮や、編集技術を駆使したロスの高速道路の夜景、廃墟と化したビル群などアメリカ各地の驚異的な光景、開発、都市の人びとの動き、オートメーション、そして長い時間をかけて墜落してゆく宇宙船のスローモーション……。環境に対して現代世界が与えた破壊的影響力を記録した視覚映像。文明社会へ警鐘を鳴らすテーマは人々を震撼させ、未だかつてない表現手法が、見る人の魂を揺さぶった。まるでジェットコースターに乗っているように加速しフラッシュバックのように流れていく映像の疾走感に酔ったような感覚が、ときに心地良いほど。高速度撮影や早いカット回しなどによる都市の光景......。時間を忘れ、全身で体感する映像と音楽が織り成す壮大な映像叙事詩です。私達の世界がテクノロジーの力に飲み込まれていき、戦争でさえ日常と化していく現在の姿を浮き彫りにしていく異色ドキュメンタリー映画の最高傑作です。



 製作にフランシス・コッポラの名前がありますが、当時、「地獄の黙示録」の後「ワン・フロム・ハート」の失敗で破産していたフランシス・コッポラの映画作家としての慧眼がなければこの映画は存在しなかった。次世代のアメリカ映画界を担う新しい才能の発掘に貢献しているコッポラはこの映画の重要性をいち早く見抜いていて配給を始めとして全面的にバックアップしたのです。こういう仕事も映画界の維持の為には絶対必要ですね。
 蓮實重彦+武満徹「シネマの快楽」では「なんというナイーヴさ」との標題でそのアマチュアリズム臭さを辛口批評されておりますが、六本木シネ・ヴィヴァンのオープニング第二弾作品としてドルビーステレオ設備がないためモノラルで上映されたのみで、他に深夜TVで一度放映されたきり再映されることなく、当時の映画青年の間では伝説的な映画として熱狂的なファンが生みだされLDやビデオはオークションでも高値を呼びました。また、この映画をドラッグムービーというようなイメージで捉える見方もありました。



「コヤニスカッティ」とはアリゾナのインディオのホピ族の言葉で、「平衡を失った世界(life out of balance)」という意味です。ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアン最古の民、ホピ族の聖地から掘り出されたウランから造られたものだったという衝撃的な事実があります。このホピ族の神話にインスパイアされて生まれた「言葉」のない黙示録的な映像と音は「コヤニスカッティ」という呪文をともなった強烈な<イメージ>として焼きついて風化することがありません。なんとも観る者に神秘的体験といっても良い映画体験ができるドキュメンタリー映画です。私には昔観た時より、今のほうが映像が喚起するものはリアルで、9.11米同時多発テロの傷跡、報復の応酬により泥沼化していくイラク戦争....9.11米同時多発テロのニュースフィルム観た時、真っ先に思ったことはこの「コヤニスカッティ」の音楽と映像のことと「ホピ族の予言」のことでした。血の気が引いて寒くなったのを覚えてます。TV映像から非日常の裂け目を覗き込んだようで怖かったです。嘘だろと思いました。
まさに現代が「コヤニスカッティ」の時代であることを心底痛感させられます。この映画を最初に見た時の衝撃と感動の記憶は今もなお強烈鮮明で、グラスの音楽とあいまって心の奥底から哀しみがこみ上げてくる、まさにカルチャーショックと呼ぶに相応しいものです。
 


ゴッドフリー・レジオ監督の初監督作品である「コヤニスカッツィ」が暗示していた問題…。それが、まさしくこの21世紀の今、現代社会で現実になっているのは、ただの偶然なのだろうか考えさせられます。2作目の「POWAQQATSI(ポワカッツィ)1987年」に引き続き、今年2月には、「カッツィ3部作」完結編「NAQOYQATSI (ナコイカッツィ)」の公開が決定しています。この「カッツィ3部作」は言葉を用いずに映像と音楽の力だけで、人の心の奥深くへと入り込み魂を震わせる壮大な映像叙事詩です。
『ポワカッツィ』とはホピ族の言葉で「自己の反映のために他人の生命力を食い物にする生き方」。
『ナコイカッツィ』とはホピ族の言葉で「互いに殺しあう命 日常と化した戦争 文明化された暴力」を意味する。



<コヤニスカッティ[DVD-Audio完全盤] フィリップ・グラス >
映像と音楽により、現代世界の変容と危機をつづったフィリップ・グラスの「コヤニスカッティ」 DVD-Audio盤。フィリップ・グラスの音楽の頂点に立つものが、映画監督ゴッドフリー・レジオとの綿密な共同作業から生まれた衝撃的なこの『コヤニスカッティ』と、その続編『ポワカッティ』だと思います。少しずつ編集された断片にグラスが作曲を行い、音楽とのシンクロニゼイションを一致させる為編集がやり直され、また音楽が書きなおされ、時には追加撮影もなされ約3年の長きにわたっての制作であったそうです。それだけこの映画における音楽の役割を重要視していたのでした。
<曲目>
1.コヤニスカッティ(オープニング)|2.有機的統一による世界|3.雲の風景|4.地下資源|5.都市の動脈|6.プリット・イゴ(高層住宅)|7.坩堝|8.予言



昨年10月17日18日両日、フィリップ・グラスは自らのアンサンブルを引き連れ、『コヤニスカッティ』とその続編『ポワカッティ』の生演奏つき上映会を日本で実現させました。
「この2つの作品が有する音楽と映像の衝撃を、望みうる最高の形で紹介すべく、万全の体勢で日本公演を準備することにした。まず、すみだトリフォニーホールの大ホールに縦6メートル横11メートルの大スクリーンを特設し、『コヤニスカッティ』『ポワカッティ』それぞれの35ミリフィルム・オリジナル版を全編上映。同時に、スクリーンの下に待機したアンサンブルが、グラスのスコア全曲を映像と少しのズレも生じさせることなくシンクロさせながら、ライヴ演奏する。もはや単なる映画上映でもコンサートでもない。映画館やビデオ/DVDでは絶対に反芻不可能な、観客の五感を揺さぶる圧倒的なスペクタクルが、一回限りの特別な体験として目の前に現出するのである。 」

◇ゴッドフリー・レジオ監督のコメント◇
「フィリップ・グラスには、とにかく驚かされる。
彼の生み出した音楽言語は複雑であり、同時に混じりけのない明快さを兼ね備えている。 その音楽が未知の躍動感に足を踏み入れるようとする時、グラスは聴く者を感動させる感性を示すのだ。グラスは絶えず変化を見せる反復語法を用いながら、魂に直接語りかけてくる。言うまでもなく、私自身はグラス・ジャンキーであり、彼の音楽なら何でも聴くほど中毒症状が進んでいる。 」

◇ジョナスメカスのコメント◇
「衝撃的な映像と卓越した技法で現代都市を終末論的に描いたゴッドフリー・レジオ監督の『コヤニスカッティ』は、映像と現代音楽が完璧に融合した映画でもある。 フィリップ・グラスの音楽は、映画史上に残る偉大なスコアの規範を指し示している。 」



◇磯崎新のコメント◇
「『ナコイカッツィ』で、遂に映像と音楽による宗教的詩編がうまれた。
生成と消滅を繰り返すこの宇宙がかくも荒々しい暴力に満たされているとは。
こんな予感は前の二作に既にしめされていた。しかし、アナログでしかない映像の限界があった。スピードは変えても時間は逆流しなかった。
極微の世界で物質が破壊されている。巨大な宇宙がまるごとブラックホールに吸い込まれている。この流転の現場に踏み込むためには、再現しかできない映像を解体してしまうデジタル処理が不可欠だった。再現する/再現される関係が逆転されねばならない。それは切れ切れの時間の裂け目にはりこむことだ。
ミニマル・ミュージックもまたこの裂け目にうまれるズレが手がかりにされた方法ではなかったか。わずかなリズムのズレがモワレを生んでいた。
ゴッドフリー・レジオの映像とフィリップ・グラスの音楽が、その根底にかかえた技法のレベルにおいて合体し干渉し合っている。私たちがその一部分になっている宇宙のメカニズムがこうして露呈される。いっさいの合理的説明を超えていく。宗教的と呼ぶしかない強度にあふれたメッセージだ。 」

◇坂本龍一のコメント◇
「もう20年以上前「コヤニスカッティ」を見た時には衝撃だった。
その後、この映画がアメリカの先住民、ホピ族の予言にもとづいて作られたことを知り、衝撃はもっと深くぼくの記憶に残った。そして、「現代」というものを映像に残そうとすると、どうしてもこの映画のようにならざるをえない、という確信が強くなった。恐ろしいことに、21世紀に入って、ホピの予言がさらに真実味を帯びてきているように思う。ぼくたちは、もう一度この2本の映画をよく見、20世紀の記憶を刻みつけなければならない。 」

◇オオエタツヤのコメント◇
「言葉を介さずして言葉以上の「説得」をもたらす時間芸術。 二十年近く前「コヤニスカッティ」に接した時、そんな思いにかられたのを覚えています。表現の眼差しが冷静であればあるほど受け手の感情や思索をより喚起していくかのような、新しい啓示のメカニズムすら感じられる衝撃的な作品でした。
警鐘の次元もとうに過ぎ去ってしまった2003年現在、この作品が僕等を誘う(いざなう)場所が、感傷や鎮魂の境地ではなく、平衡を回復する道のりへの「出発点」であって欲しいと切に願っています。」




<フィリップ・グラス Philip Glass>

スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーと並ぶ"ミニマル・ミュージック御三家"のひとり、フィリップ・グラス。現代音楽界をリードする当代きっての作曲家です。先祖はロシア系ユダヤ人。フィリップ・グラスが音楽を学び出したのは8歳の頃のこと。最初はフルートとビアノを習い、それから、作曲や和声を学ぶようになる。ボルティモアで育った彼は、父親がレコード店を経営していたこともあって、早くから様々な音楽に親しんでいた。19歳で名門ジュリアード音楽院に入学。 パリで学んだのち、アカデミックなクラシック音楽のルールを重んじるよりも、反復構造と強列なビートを前面に押し出した「ミニマル・ミュージック」を提唱。ラヴィ・シャンカール作品を手掛けるうちに音楽的理念が大きく変化。シャンカールの存在がグラスの音楽的なキャリアのターニング・ポイントにもなった。クラシック音楽のルールを重んじるよりも、アヴァンギャルド・クラシックで用いられていたリズムや復唱を取り入れることを選択しミニマリズム理論を創造した。必要最小限のメロディとリズム。そして、反復とわずかな変化。こうしたミニマリズム理論はエレクトロニック・ミュージックのオリジネイター的存在のクラウス・シュルツ、タンジェリン・ドリーム 、マニュエル・ゲッチング、ブライアン・イーノ、マイケル・ナイマンらに大きな影響を与えた。彼らの創造性は、その手法・方法論が後のテクノに与えた影響はあまりに大きい。



68年にオルガンやシンセサイザーに管弦楽器を加えた「フィリップ・グラス・アンサンブル」を結成、ニューヨークを拠点に活動する。 オペラ、室内楽、シンフォニー、歌曲等作品は多彩。 デビッド・ボウイ、ブライアン・イーノやクラフトワーク、エイフェックス・ツインなど、グラスとの親交から影響を受けたロックアーティストも多い。楽器のみならず、声/手拍子/環境音までも素材としたテープ操作の変調と、反復/変化から引き出される極めて原始的な催眠効果は、人々の音楽に対する認識を覆した。



76年舞台演出家ロバート・ウイルソンとのコラボレーション『浜辺のアインシュタイン』で舞台芸術界に一大センセーションをまきおこし、以降メトロポリタン・オペラ委嘱作『航海(92年)』を初めとする15本のオペラ、ザルツブルグ音楽祭委嘱作『交響曲第5番(合唱付)レクイエム、バルドゥとニルマナカヤ』など数多くの作品を発表する。
映画音楽ではマーティン・スコセッシ監督『クンドゥン(1998年LA批評家協会賞、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞・グラミー賞最優秀音楽ノミネート)』、ピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー(1999年ゴールデングローブ賞最優秀音楽賞)』、現在公開中のスティーヴン・ダルドリー監督『めぐりあう時間たち(アカデミー音楽賞ノミネート)』など20作品がある。
私的にはピーター・グリーナウェイ監督の傑作ドキュメンタリー『4 American Composers: Philip Glass』でグラスは<浜辺のアインシュタイン>から抜粋した<Train/Spaceship>をPhilip Glass Ensembleと伴に演奏しております。現代音楽ファン垂涎のこのシーンをぜひともご覧いただきたいです。他にピーター・グリーナウェイ監督とは、グラスの委嘱により短編『The Man in the Bath』でコラボしています。『4 American Composers』 の後の3人は、ジョン・ケージ、ロバート・アシュリー、メレディス・モンクです。現在このソフトは米でも廃盤で入手困難です。私は日本版LDを所有してますので興味ある方はお問い合わせくださいな。
ekato


アメリカ先住民ホピ族の予言。
「大地より貴き品々を掘り起こす時
我らに災いがもたらされるなり

禊の日が近づけば
蜘蛛の巣が空の隅々まで張り巡らされよう

いつの日か、灰の満ちた容れ物が天上より投げ落とされ
大地を焼き払い、大海が沸き立つだろう……」。

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CAT-O





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映像と音楽の黙示録「KOYAANISQATSI (コヤニスカッツィ)」
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「KOYAANISQATSI (コヤニスカッツィ)1982」

監督: ゴッドフリー・レジオ
製作: ゴッドフリー・レジオ/フランシス・コッポラ
脚本: ロン・フリック/ゴッドフリー・レジオ/マイケル・ホーニッグ/アルトン・ウォルポール
撮影: ロン・フリック
編集: ロン・フリック/アルトン・ウォルポール
音楽: フィリップ・グラス/マイケル・ホーニッグ



冒頭、スクリーンに浮かび上がるホピ族による人型紋様の壁画が映しだされる。バスの男声で「コヤニスカッツィー・・・・コヤニスカッツィー・・・」とパイプオルガンの荘厳な音楽が始まる。画面は自然の中からやがて時間の流れがそうであるように都会や人間社会の映像へと移っていく。核実験場を覆うキノコ雲、雄大なモニュメントバレーの空撮や、編集技術を駆使したロスの高速道路の夜景、廃墟と化したビル群などアメリカ各地の驚異的な光景、開発、都市の人びとの動き、オートメーション、そして長い時間をかけて墜落してゆく宇宙船のスローモーション……。環境に対して現代世界が与えた破壊的影響力を記録した視覚映像。文明社会へ警鐘を鳴らすテーマは人々を震撼させ、未だかつてない表現手法が、見る人の魂を揺さぶった。まるでジェットコースターに乗っているように加速しフラッシュバックのように流れていく映像の疾走感に酔ったような感覚が、ときに心地良いほど。高速度撮影や早いカット回しなどによる都市の光景......。時間を忘れ、全身で体感する映像と音楽が織り成す壮大な映像叙事詩です。私達の世界がテクノロジーの力に飲み込まれていき、戦争でさえ日常と化していく現在の姿を浮き彫りにしていく異色ドキュメンタリー映画の最高傑作です。



 製作にフランシス・コッポラの名前がありますが、当時、「地獄の黙示録」の後「ワン・フロム・ハート」の失敗で破産していたフランシス・コッポラの映画作家としての慧眼がなければこの映画は存在しなかった。次世代のアメリカ映画界を担う新しい才能の発掘に貢献しているコッポラはこの映画の重要性をいち早く見抜いていて配給を始めとして全面的にバックアップしたのです。こういう仕事も映画界の維持の為には絶対必要ですね。
 蓮實重彦+武満徹「シネマの快楽」では「なんというナイーヴさ」との標題でそのアマチュアリズム臭さを辛口批評されておりますが、六本木シネ・ヴィヴァンのオープニング第二弾作品としてドルビーステレオ設備がないためモノラルで上映されたのみで、他に深夜TVで一度放映されたきり再映されることなく、当時の映画青年の間では伝説的な映画として熱狂的なファンが生みだされLDやビデオはオークションでも高値を呼びました。また、この映画をドラッグムービーというようなイメージで捉える見方もありました。



「コヤニスカッティ」とはアリゾナのインディオのホピ族の言葉で、「平衡を失った世界(life out of balance)」という意味です。ヒロシマ、ナガサキに投下された原子爆弾は、アメリカ・インディアン最古の民、ホピ族の聖地から掘り出されたウランから造られたものだったという衝撃的な事実があります。このホピ族の神話にインスパイアされて生まれた「言葉」のない黙示録的な映像と音は「コヤニスカッティ」という呪文をともなった強烈な<イメージ>として焼きついて風化することがありません。なんとも観る者に神秘的体験といっても良い映画体験ができるドキュメンタリー映画です。私には昔観た時より、今のほうが映像が喚起するものはリアルで、9.11米同時多発テロの傷跡、報復の応酬により泥沼化していくイラク戦争....9.11米同時多発テロのニュースフィルム観た時、真っ先に思ったことはこの「コヤニスカッティ」の音楽と映像のことと「ホピ族の予言」のことでした。血の気が引いて寒くなったのを覚えてます。TV映像から非日常の裂け目を覗き込んだようで怖かったです。嘘だろと思いました。
まさに現代が「コヤニスカッティ」の時代であることを心底痛感させられます。この映画を最初に見た時の衝撃と感動の記憶は今もなお強烈鮮明で、グラスの音楽とあいまって心の奥底から哀しみがこみ上げてくる、まさにカルチャーショックと呼ぶに相応しいものです。
 


ゴッドフリー・レジオ監督の初監督作品である「コヤニスカッツィ」が暗示していた問題…。それが、まさしくこの21世紀の今、現代社会で現実になっているのは、ただの偶然なのだろうか考えさせられます。2作目の「POWAQQATSI(ポワカッツィ)1987年」に引き続き、今年2月には、「カッツィ3部作」完結編「NAQOYQATSI (ナコイカッツィ)」の公開が決定しています。この「カッツィ3部作」は言葉を用いずに映像と音楽の力だけで、人の心の奥深くへと入り込み魂を震わせる壮大な映像叙事詩です。
『ポワカッツィ』とはホピ族の言葉で「自己の反映のために他人の生命力を食い物にする生き方」。
『ナコイカッツィ』とはホピ族の言葉で「互いに殺しあう命 日常と化した戦争 文明化された暴力」を意味する。



<コヤニスカッティ[DVD-Audio完全盤] フィリップ・グラス >
映像と音楽により、現代世界の変容と危機をつづったフィリップ・グラスの「コヤニスカッティ」 DVD-Audio盤。フィリップ・グラスの音楽の頂点に立つものが、映画監督ゴッドフリー・レジオとの綿密な共同作業から生まれた衝撃的なこの『コヤニスカッティ』と、その続編『ポワカッティ』だと思います。少しずつ編集された断片にグラスが作曲を行い、音楽とのシンクロニゼイションを一致させる為編集がやり直され、また音楽が書きなおされ、時には追加撮影もなされ約3年の長きにわたっての制作であったそうです。それだけこの映画における音楽の役割を重要視していたのでした。
<曲目>
1.コヤニスカッティ(オープニング)|2.有機的統一による世界|3.雲の風景|4.地下資源|5.都市の動脈|6.プリット・イゴ(高層住宅)|7.坩堝|8.予言




廃盤DVD『ANIMA MUNDI(1992年米)』のUSA版です。WWF(世界自然保護基金)製作による28分の短編映画。監督ゴッドフリー・レジオ、音楽フィリップ・グラスという、『コヤニスカッツィ』コンビの作品で、相変わらずのミニマルな旋律に合わせて、色々な動物の映像が走馬灯のように流れていくという作品で、『コヤニスカッツィ』の後に制作された作品です。このUSA版も廃盤のため入手困難です。



昨年10月17日18日両日、フィリップ・グラスは自らのアンサンブルを引き連れ、『コヤニスカッティ』とその続編『ポワカッティ』の生演奏つき上映会を日本で実現させました。
「この2つの作品が有する音楽と映像の衝撃を、望みうる最高の形で紹介すべく、万全の体勢で日本公演を準備することにした。まず、すみだトリフォニーホールの大ホールに縦6メートル横11メートルの大スクリーンを特設し、『コヤニスカッティ』『ポワカッティ』それぞれの35ミリフィルム・オリジナル版を全編上映。同時に、スクリーンの下に待機したアンサンブルが、グラスのスコア全曲を映像と少しのズレも生じさせることなくシンクロさせながら、ライヴ演奏する。もはや単なる映画上映でもコンサートでもない。映画館やビデオ/DVDでは絶対に反芻不可能な、観客の五感を揺さぶる圧倒的なスペクタクルが、一回限りの特別な体験として目の前に現出するのである。 」

◇ゴッドフリー・レジオ監督のコメント◇
「フィリップ・グラスには、とにかく驚かされる。
彼の生み出した音楽言語は複雑であり、同時に混じりけのない明快さを兼ね備えている。 その音楽が未知の躍動感に足を踏み入れるようとする時、グラスは聴く者を感動させる感性を示すのだ。グラスは絶えず変化を見せる反復語法を用いながら、魂に直接語りかけてくる。言うまでもなく、私自身はグラス・ジャンキーであり、彼の音楽なら何でも聴くほど中毒症状が進んでいる。 」

◇ジョナスメカスのコメント◇
「衝撃的な映像と卓越した技法で現代都市を終末論的に描いたゴッドフリー・レジオ監督の『コヤニスカッティ』は、映像と現代音楽が完璧に融合した映画でもある。 フィリップ・グラスの音楽は、映画史上に残る偉大なスコアの規範を指し示している。 」



◇磯崎新のコメント◇
「『ナコイカッツィ』で、遂に映像と音楽による宗教的詩編がうまれた。
生成と消滅を繰り返すこの宇宙がかくも荒々しい暴力に満たされているとは。
こんな予感は前の二作に既にしめされていた。しかし、アナログでしかない映像の限界があった。スピードは変えても時間は逆流しなかった。
極微の世界で物質が破壊されている。巨大な宇宙がまるごとブラックホールに吸い込まれている。この流転の現場に踏み込むためには、再現しかできない映像を解体してしまうデジタル処理が不可欠だった。再現する/再現される関係が逆転されねばならない。それは切れ切れの時間の裂け目にはりこむことだ。
ミニマル・ミュージックもまたこの裂け目にうまれるズレが手がかりにされた方法ではなかったか。わずかなリズムのズレがモワレを生んでいた。
ゴッドフリー・レジオの映像とフィリップ・グラスの音楽が、その根底にかかえた技法のレベルにおいて合体し干渉し合っている。私たちがその一部分になっている宇宙のメカニズムがこうして露呈される。いっさいの合理的説明を超えていく。宗教的と呼ぶしかない強度にあふれたメッセージだ。 」

◇坂本龍一のコメント◇
「もう20年以上前「コヤニスカッティ」を見た時には衝撃だった。
その後、この映画がアメリカの先住民、ホピ族の予言にもとづいて作られたことを知り、衝撃はもっと深くぼくの記憶に残った。そして、「現代」というものを映像に残そうとすると、どうしてもこの映画のようにならざるをえない、という確信が強くなった。恐ろしいことに、21世紀に入って、ホピの予言がさらに真実味を帯びてきているように思う。ぼくたちは、もう一度この2本の映画をよく見、20世紀の記憶を刻みつけなければならない。 」

◇オオエタツヤのコメント◇
「言葉を介さずして言葉以上の「説得」をもたらす時間芸術。 二十年近く前「コヤニスカッティ」に接した時、そんな思いにかられたのを覚えています。表現の眼差しが冷静であればあるほど受け手の感情や思索をより喚起していくかのような、新しい啓示のメカニズムすら感じられる衝撃的な作品でした。
警鐘の次元もとうに過ぎ去ってしまった2003年現在、この作品が僕等を誘う(いざなう)場所が、感傷や鎮魂の境地ではなく、平衡を回復する道のりへの「出発点」であって欲しいと切に願っています。」




<フィリップ・グラス Philip Glass>

スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーと並ぶ"ミニマル・ミュージック御三家"のひとり、フィリップ・グラス。現代音楽界をリードする当代きっての作曲家です。先祖はロシア系ユダヤ人。フィリップ・グラスが音楽を学び出したのは8歳の頃のこと。最初はフルートとビアノを習い、それから、作曲や和声を学ぶようになる。ボルティモアで育った彼は、父親がレコード店を経営していたこともあって、早くから様々な音楽に親しんでいた。19歳で名門ジュリアード音楽院に入学。 パリで学んだのち、アカデミックなクラシック音楽のルールを重んじるよりも、反復構造と強列なビートを前面に押し出した「ミニマル・ミュージック」を提唱。ラヴィ・シャンカール作品を手掛けるうちに音楽的理念が大きく変化。シャンカールの存在がグラスの音楽的なキャリアのターニング・ポイントにもなった。クラシック音楽のルールを重んじるよりも、アヴァンギャルド・クラシックで用いられていたリズムや復唱を取り入れることを選択しミニマリズム理論を創造した。必要最小限のメロディとリズム。そして、反復とわずかな変化。こうしたミニマリズム理論はエレクトロニック・ミュージックのオリジネイター的存在のクラウス・シュルツ、タンジェリン・ドリーム 、マニュエル・ゲッチング、ブライアン・イーノ、マイケル・ナイマンらに大きな影響を与えた。彼らの創造性は、その手法・方法論が後のテクノに与えた影響はあまりに大きい。



68年にオルガンやシンセサイザーに管弦楽器を加えた「フィリップ・グラス・アンサンブル」を結成、ニューヨークを拠点に活動する。 オペラ、室内楽、シンフォニー、歌曲等作品は多彩。 デビッド・ボウイ、ブライアン・イーノやクラフトワーク、エイフェックス・ツインなど、グラスとの親交から影響を受けたロックアーティストも多い。楽器のみならず、声/手拍子/環境音までも素材としたテープ操作の変調と、反復/変化から引き出される極めて原始的な催眠効果は、人々の音楽に対する認識を覆した。



76年舞台演出家ロバート・ウイルソンとのコラボレーション『浜辺のアインシュタイン』で舞台芸術界に一大センセーションをまきおこし、以降メトロポリタン・オペラ委嘱作『航海(92年)』を初めとする15本のオペラ、ザルツブルグ音楽祭委嘱作『交響曲第5番(合唱付)レクイエム、バルドゥとニルマナカヤ』など数多くの作品を発表する。
映画音楽ではマーティン・スコセッシ監督『クンドゥン(1998年LA批評家協会賞、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞・グラミー賞最優秀音楽ノミネート)』、ピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー(1999年ゴールデングローブ賞最優秀音楽賞)』、現在公開中のスティーヴン・ダルドリー監督『めぐりあう時間たち(アカデミー音楽賞ノミネート)』など20作品がある。
私的にはピーター・グリーナウェイ監督の傑作ドキュメンタリー『4 American Composers: Philip Glass』でグラスは<浜辺のアインシュタイン>から抜粋した<Train/Spaceship>をPhilip Glass Ensembleと伴に演奏しております。現代音楽ファン垂涎のこのシーンをぜひともご覧いただきたいです。他にピーター・グリーナウェイ監督とは、グラスの委嘱により短編『The Man in the Bath』でコラボしています。『4 American Composers』 の後の3人は、ジョン・ケージ、ロバート・アシュリー、メレディス・モンクです。現在このソフトは米でも廃盤で入手困難です。私は日本版LDを所有してますので興味ある方はお問い合わせくださいな。
ekato


アメリカ先住民ホピ族の予言。
「大地より貴き品々を掘り起こす時
我らに災いがもたらされるなり

禊の日が近づけば
蜘蛛の巣が空の隅々まで張り巡らされよう

いつの日か、灰の満ちた容れ物が天上より投げ落とされ
大地を焼き払い、大海が沸き立つだろう……」。

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